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東京高等裁判所 昭和42年(う)2064号 判決 1967年12月25日

被告人 小松一

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣旨は、弁護人矢田部理作成名義の控訴趣意書に記載してあるとおりであるから、これを引用し、これに対して当裁判所は、つぎのように判断をする。

論旨第一点について

所論は、本件事故の原因は、道路工事関係者の法令違反と怠慢によるものであつて被告人の過失によるものではないと主張するので按ずるに、所論援用の道路関係法規によれば、道路工事のために当該道路の通行を禁止または制限する必要のある場合には、道路工事関係者において、一定の警戒標識等をもつて自動車の運転者等の注意を喚起すべきことは所論のとおりであり、とくに、当該道路がバス路線にあたる場合には、予め工事責任者からバスの営業者に対してその旨の申入れがあり、本件被告人のごときバスの運転者は、これによつてバス路線の道路状況を予め知らされる慣行になつていたことが所論のとおりとすれば、所論のごとき道路標識の設置がなく、かつ、工事責任者からの事前連絡がない場合には、自動車運転者としては、当該道路の通行が道路工事のために禁止または制限されていないものとして通行し、運転することが許されているものと解するのも、強ち、自動車運転の実情にそわないものともなしがたい。

しかし、自動車の運転者が現に当該道路を運転するにさいしては、自ら、具体的な道路状況を把握し、それに即応する運転方法をとるのでなければ道路交通の安全を保しがたいのであり、右のごとく自動車を運転するにさいし、道路工事箇所の存することを知り、または知りうべき状況にあつた場合においては、これに起因する危険の発生を回避するため、自ら適宜の措置をとるべきは当然であり、かかる場合においても、なおかつ所論のごとき道路標識の有無あるいは工事責任者の事前連絡のみに依拠し、これによる危険を甘受しなければならないいわれはない。

しかるに、原判決挙示の各証拠その他記録によれば、原判示道路工事箇所は、車道幅員一七・二メートルのうち、被告人の進行方向左側六・二メートル、長さ一〇〇メートル余にわたる部分で、その区間は、高さ約一メートルの黄色標識燈が約一メートル間隔に置かれ、それをロープで繋いで囲まれ、その始端には、工事箇所なる旨の標識板が置かれていたこと、その始端の手前約七七メートルのところから右工事区間の先までは、従前の道路中央線とは別に、右工事のために通行が制限される部分を除く車道部分について、新たに白ペンキで中央線が標示されていたことが認められるところ、被告人は、原審公判廷において、右工事箇所の存在を知らなかつたがごとき供述をなしながらも、一方においては、右工事は本件事故の前日から行なわれていたのに、被告人は本件事故当日も、事故前、二回にわたり、バスを運転して右道路を通行したこと、および、右新たな中央線の意味を知つていたことを供述していることに徴すれば、予め、右工事箇所の存在を知つていたものと認められ、かりに知らなかつたとしても、前認定のごとき工事箇所の標示および中央線の状況、原判示時刻に照らし、通常の注意をもつてすれば容易にこれを知りえた状況にあつたものと認めるに十分であるから、この点に運転上の過失があつたものというべく、然らばたとえ所論のごとく警戒標識等の道路標識がなく、工事責任者からの事前連絡がなかつたとしても、かかる事情をもつて被告人の責任を免れることはできない。

所論はまた、被告人は、原判示先行車たる大型貨物自動車とは六・七メートルの車間距離をとつていたものであり、現今の混雑を極める交通事情の下では、前車に遮られて見透しの十分でないのは通常であり、また、車間距離も十分にとり得ないのが実体である。そのためにこそ、前記道路標識等による事前予告が必要であるのみならず、原判示のごとき道路状況において、時速五〇キロメートル位で運転するには、右のごとき程度の車間距離で足りるから、被告人には、原判示のごとき過失はないと主張するので按ずるに、そもそも、記録によれば、本件事故にさいし、果して原判示のごとき先行車があつたものか、甚だ疑わしく、したがつて、本件事故の原因は、当初の訴因のごとく、被告人の単なる前方注視義務の懈怠によるものではないかとの疑いがないわけではないが、被告人の弁解するところに従い、原判示のごとく先行車があつたものとすれば、原判示のごとき程度の、車間距離をもつて十分とはなしがたい。けだし、いわゆる車間距離は、車両の種類、速度、道路状況、見透しの状況等、具体的な状況に照らして決すべきものと解されるところ、原判示のごとく先行車のために自車進路の見透しが十分でないに拘らず、時速約五〇キロメートルの高速であつたことに徴すれば、原判示のごとく五、六メートルの車間距離あるいは所論のごとく六、七メートルの車間距離をもつてしては、前車が急停止した場合において追突を避けることができず、あるいは本件のごとく、前車の前方に存する道路状況の発見が遅れ、これに対処するいとまがないからにほかならない(なお、ここにいわゆる車間距離とは、道路交通法第二六条所定の車間距離とは必ずしも同意義ではなく、同条所定の追突回避のためのみに止まらず、前方に対する見透しの不十分なのを補いうるような、両車両の距離をいうものであり、原判決の趣旨も同様と解される。もつとも、本件においては、前記法条における車間距離としても、十分ではない。)。現今の道路交通の実情として、必ずしも十分な車間距離が保たれていないことは所論指摘のとおりであるが、かかる実情は、よつて生ずべき事故に対する責任を負うべき危険を自ら認容しつつ運転しているに過ぎず、本件のごとく、現に生じた事故に対する責任を免れしめるものではない。

所論に徴して記録並びに当審における事実取調の結果について検討するも、原判決に所論のごとき事実誤認あるいは法令の解釈適用を誤つたがごとき違法は存しない。論旨は理由がない。

論旨第二点について

所論は、原判決の量刑不当を主張するものであるが、本件道路工事について、警戒標識等道路標識が完備しておらず、また、いまだ工事責任者から連絡のなかつたこと、被告人は、昭和三九年二月、運転免許証を取つて以来全くの無事故であつたこと、本件事故後における被害者救護の状況あるいは示談が成立していること等、所論指摘の諸事情を総て被告人の利益に斟酌して考察するも、本件犯行の罪質、態様、結果の重大性にかんがみれば、原判決の量刑をもつて重きに過ぎるものとはなしがたい。所論に徴して記録並びに当審における事実取調の結果について検討するも、他に原判決を破棄してその刑を軽きに変更すべき事由を発見しがたい。論旨は理由がない。

よつて、本件控訴は理由がないから、刑事訴訟法第三九六条により、これを棄却することとし、主文のように判決をする。

(裁判官 三宅富士郎 石田一郎 金隆史)

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